無意識ってすげー。って毎日思う。毎日電車ではガン寝ですが、ちゃんと降りる駅で目が覚めるもんね。無意識のなかで時間を測ったりアナウンス聞いたりしてるんだろうねぇ。いつもありがとう!俺!

絵を描いてゐるときって絵に引っ張られることってあるよね。像を石の中から切り出してくると云うわけでは無いですが、あるべきところに収まってゆくように線が引かれてゆくことが。

もしかすると無意識のうちに画面構成を判断しながら絵を創ってゐるのかもしれないね。頭のイメージをトークン化してるだけかもしんねけど。ともあれ、こんな感じで生まれた絵って手前味噌ながらいい感じだったりします。
他のひとから見て違いがあるかは判りませんが、「我ながらお気に入りの絵」ってのは2つに大別できて、「推敲に推敲を重ねて構成し、構想にそれなりに近づけたやつ」と「よく判らんけど大宇宙の意思のままに手を動かしたらなんかいい感じになってしまったやつ」となります。推敲したやつは、苦労した分だけ思い入れも大きいですが、自分で考えたものなので、理解が容易いのですよね(他人からみてどうかは判らんけど)。比べて、何故か描けてしまった絵って、自分でも理解できない部分があって愉快なんですよね。これは現代社会への強い怒りを表してゐるんだよ!いや、何も考えてないから。無意識によって生まれる、理性や常識をとっぱらったところから生まれるものにこそ、素の自分、真の自分が投影されるのかもしれません。理を捨て、既成事実を捨てることで融通無碍の世界が見えてくるのかもしれんね。

つか、2つに大別っつうか、ワタクシのバヤイ偏ってるよね。てへ。。。理屈で引いた線って、確かにキレイなんだけど、なんかイキオイを失ってゐると云うか、力強さに欠ける印象があるかも。適当に、乱暴に線を引けばイキオイが生まれるとは云えないけど、何かしらの神懸かり的な力を借りないとそんな線は生まれないのかもしれない。と、他力本願に逃げ道を用意しておくのが人生を楽に楽しく生きるヒケツ。