7/1のひろよさんのコメントより。

『絵の技術って、かなりの部分、絵に現れる自分を隠す技術だったりしますからね。どこまで素の自分を描けるかというのと、技術としての上手さは別だってのは描いててよく思います。かといって、人は全裸で見せ物になるほどきれいな体してないのが常なわけでして。技術と心のバランスをどこに見いだすかってことになりますが、これって練習すれば少ない労力でできるようになるたぐいでもなくて、自分との戦いなので毎回精神にクる。』

つまりは、とにかくさらけ出すことを好しとするワタクシはネット露出狂って云いたいんですね。ふーん。

ともあれ、先日の日記を書くに、頭に浮かんだこと。ワタクシは子供が結構好きです。あの純真さ。純真な欲望へのひたむきさ。欲望一直線の生き方はとても好いと思います。子供ってホント行動が欲望快楽と直結してますよね。年をとってしまうと、とてもああは生きられない。絵を描くのだって、やれリアリティだの、やれキレイな線だの、バランスがどうのと悩んでる大人を尻目にズバズバと線を引きやがる。もちろん、残るのは見るに耐えない拙い絵なんだが、そのひたむきな快楽の渇望が結構心をうつ。

まあ、偉い芸術家つうのは、うまーく、うまーく技術でオブラートに包みつつも快楽とか情念を失わせないあたりが偉い所以なのかもしれんね。ああ、ワタクシはひろよさんを芸術家肌だと思ってゐるんですが、成る程、ひろよさんの絵は確かな技術で上品にみせつつもそこらじゅうから滲み出る変態オーラがミリキなんですなぁ。ちなみに、ベタ褒めしてるんだよぅ?ひろよさんの絵は卑猥だーよね。ワタクシ?ワタクシの絵は疑うまでもなく変態ですよねぃ。隠す気もないし。

まあ、技術を高めようって云ってるひとの足を引っ張るつもりはありませんので、掃き溜めみたいな底から仰いでニヤニヤしてますね。