ゲームの持つ可能性を信じ続けているのね

薄力粉さんがとあるひとのtwをRTして曰く、風ノ旅ビトも十分難しいとのことだ。ゲーム中、割と説明不足のまま放置されるのも厳しい障害となっているようだ。そして、僕が一番感銘を受けたフィーチャーに関しても、「疑問に思っているようなので説明したが、腑に落ちてないようだった」と云うことだ。僕は風ノ旅ビトがとてもすばらしいゲームだと思うので、万人が遊んでみるべきだと息を荒くしているのだけれでも、そこから十二分なゲームエクスペリエンスを得るにはある程度のリテラシーが必要な代物なのだった。

つうても、娯楽とかゲージツなんてのはそもそもそう云うもので、高度な技巧を凝らした作品を鑑賞するためには前提知識や技術習得を要求されるようなことが普通だったりする。受動的なメディアであるところの例えば映画などと云ったものでも、ポカンと口を開けていれば最大限の楽しみが降りてくるかと云えば問屋がおろさなくて。監督の演出意図を汲み取ったりするには、舞台設定の前提知識を要したり、一般に使われる技法であることを看破したり、まあ、そう云う努力が必要だったりするわけで。ゲームも、そのゲームが持つポテンシャルを最大限に味わうためには、操作テクを磨いたり周辺ジャンルの経験を積んだりLv.を上げてみたりと、色々努力が必要だったりするのは特段珍しいことではない。

とは云うものの、ゲームについては「誰もが最大限に楽しめる夢の作品!」の存在なんて云う幻想を捨て切れてない気がするんだよなぁ。。。ゲームは双方向性を持つインタラクティブメディアなんだもんで、理想を尽くせば、万人に向けた作品に仕上げることも可能!と云う考え方もできるけど、と云うよりは僕がビデオゲームと云う娯楽に生まれた直後くらいから心を奪われ続けてしまっているため、ゲームを神格化して貶めることが出来ていないのが理由なのかもしれない。