資源と制限

クリアすると手に入るhttp://www.muumuu.com/members/morikawa/1462.htm(via ヒズさんhttp://hiz-negi.jugem.jp/?eid=119#comments)

ゲーム進行と共にプレイの幅が広がるのは、プレイヤーの選択の幅を狭めてるんじゃないの?ゲーム中の遊びは最初から全て楽しめるべきじゃないのー?みたいな話。なんか以前から漠然と感じてたことを想起した。


ゲーム中の遊びってのは、開発者が「こういう遊びをしたら楽しいでしょう」という提案なわけで、開発者が開発期間なりコストをかけて開発したものなわけです。開発者が開発した遊びを、プレイヤーが食べていって、食べつくしたらゲーム終了、ある側面からはジス イズ ゲーム!といえるでしょう。

こういう開発者が用意したものを私は「資源」と呼んでいるのですが(コスティキャン先生が別のニュアンスで「資源」という言葉を用いてるので、できれば別の言い回しを考えたい)、これはゲームらしい遊びに限らず、御目麗しいエログラフィックとか、エロムービーとか、エロテキストとか、要はプレイヤーのモチベーションを喚起させるものならなんでもいいと思います。ただ、これらをただ無尽蔵に食べつくしていいのなら、それは映画なり本といった受動的なメディアと大差なくなるでしょう。そこをゲームをたらしめているのが、ある種の制限、ロック・アンロックなんじゃないですかね。用意された資源をいっぺんに食べちゃうんじゃなくて、小分けに時間かけて食べるとオイシイよーとか、麻雀ゲームを乗り越えてから食べるとよりオイシイよー、とか云うわけです。

実は、十分訓練されたゲーマーなんかは資源だけでもゲーミングできちゃったりします。格ゲーマーの私なんかが格ゲーの技表だけあれば、それだけでしばらく脳内で遊べちゃったりするのがその一つかな、と。単なる資源から、過去のゲーム経験を使ってプレイングを引き起こすことができてしまうわけです。と云っても、こういうのは別段むつかしいことじゃなくて、まあ、横断歩道で白いところだけ踏んで進むようにする、とか誰しもがやってたりするわけです。

ともあれ、資源に重きがあっても、寧ろ資源のみでもゲームは成立しうるわけですが、そこはそれ、経験の無いひとなんかは剥き出しにされてても途方に暮れてしまうわけで、そこを、「資源をより楽しく消費できる絶妙な制限」というのを開発して提案するのも商業ゲーム開発者の仕事なわけでして、「ゲームに制限を課さず、最初から全て触れるべき」と言い切ってしまうのはマズイんじゃないかなーと思うわけです。(まあ、元の文のひとは「資源に制限をつけて遊ばせる」決まり切った構造に対してカウンターを云ってるような気もしますが)