センスって言葉はあんまり好きになれないかも

なんか、いつも日記で話題にしてることなので、手短に。

「あの人はセンスがあってよい」と云う文脈で「センス」って言葉を使うひとは、きっと「センス」って神様が授けてくれる、先天的な、宇宙的パワーだとでも考えているのでしょうねぇ。

確かに、「センス」が発揮される状況だけを見ると、なんだか鋭いセンスを感じさせる創作に対して「どうやったらこんなのつくれるの?」って聞くと大抵、「えええーなんか、こう、うまくやっただけだよ」とか返事になってない返事が返ってくるだけだし、実際、自分でもそういう経験の多少はあるでしょう。そんなのを鑑みると、「あるひとにはある、無い人には無い」みたいな結論を出してしまいたくなるのも判らないではないです。

けど、実際は、日頃蓄えた膨大な知識データベースを基に脳が無意識に演算をした結果が「センス」というものらしいです。だもんで、「センスのいいひと」は、日頃から文字通り感覚を張り巡らせて情報収集に余念が無いわけです。何か有用な情報は無いか、また、同じ情報でも違う見方をしたら別の側面が見えてこないか、そんなのを延々と繰り返しているのです。そりゃあ、予め準備のためにデータを溜め込んでいるひとが、他のひとより優れた結果を出すのも当然でしょうよ。

なので、「自分にはセンスが無い」とか云うようなひとは、単に自分の努力不足を吐露してるだけなんですよ、きっと。