幽波紋

小学に上がるか上がらないかの頃、家のすぐ近くの草場で猫が死んでゐた。好んで踏み潰してゐたアリンコに命など感じられなかった当時、初めて見た生き物の亡骸と云ってもよかった。その、初めて見る亡骸を前に、「カワイソー」と云う当然の感想もあれど、好奇心?そう、好奇心みたいな眼差しが自分にあるのを感じた。死因は判らないが臓物を曝したその身体は、人の手に掛からず、徐々に変化を遂げてゆき、ワタクシはそれを毎日眺めていった。変化が無くなるまでのその観察は続いたが、それは初めて見るモノへの強い好奇心そのものだったのでは無いだろうか。最早その時の気持ちは憶えてはゐないのだが。

今日、走るクルマから、犬だが猫の轢死体があるのを見た。先ずは「カワイソー」。そして、過ぎ去る一瞬、好奇心による観察を試みた。

「カワイソー」と思うのは誰しも当然と思う。非生産的で無意味な死は絶対的に悲しい。悲しい情景に心を痛めるのは当然だ。次に、惨状に目をそむけてはならないと思う。人間は他の生き物によって生きてゐる以上、生き物の死とは日常だ。その日常から目をそむけるのは危険だ。じゃあ、ソレに興味を持つのは?

纏まらなくなってきたので、終了。気分を害された方がゐらっしゃいましたら、ごめんなさい。