ママー個性ってどこから来るの?んーコウノトリが運んでくるのよ。

最近どこかしらで話題にされてるエントリ(http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080702/1214984474

「個性」とは何ぞやと云うと話が進まない気もしますが、表現者が云うところの「個性」とはエゴの発露を意味することが多いと思うんですが、他人からみた時の「個性」とは発露されたエゴのうち(観測者にとって)”好ましいもの”の場合が多いと思います。確かに、君の考えた架空何たら語で書かれた小説はユニークなのかんもしれないですけど、全く認識できないのなら、興味を持つことなんて出来ませんから。なんかしらの表現が伝わったからこそ、「個性的だ」と興味を持ってもらえるわけです。この、”好ましいもの”と云う条件付けあるなしによる表現者と鑑賞者の乖離が悲劇を生んでるのかなと思います。

剥き出しになったエゴの発露、例えば厨二病炸裂したやつとか、私は結構好きです。表現が至らない故にエゴが肥大化してゆく感じが味わい深いと云うか、身体を熱くさせられると云うか、いとおしい感じがします。だから、

 模倣なんか俺の個性を潰すだけだ!知るか!

と吼えているひとを見かけるのも大変好ましいことだと思います。そのまま邁進するのも良いと思います。ただ、

 俺の個性を誰も認めてくれない…!

つうのはちょっと痛々しい感じがしてきます。ちょっと履き違えてるなーと云う感じ。認める、つうのをお金になる、と云う言い方に替えると具体的になるでしょうか、「君の個性は大変素晴らしく価値のあるものである。けど、金銭的価値は全く無いよね。」て言い方になると思います。生きていることは素晴らしく、全ての生きている人間は価値がある、けど、経済的価値のないNEETはゴロゴロしてるよね、て云う感じかなぁ。「全ての個性って素晴らしい」てのと、「お金を払うに値する個性だ」ってのは全く違う価値観で語られてるよね?

そこらへんを勘違いして、「俺の個性は価値がある、だから俺の個性で食っていく!」って云い出して不幸になってるなぁと云う印象です。

端折ってまとめちゃうと、「個性は誰にでも存在して、それはかけがえの無い価値のあるものである。けど、その個性に金銭的な価値があるかどうかは全く別の話だ。」とつうのが私の感想です。

ekiさんの引用分に関する言及はまた今度!(するかもしれない)