うぇっぷ。食べ過ぎて苦しい。私は大体単位が変わるところに境界があるようです。焼酎、1瓶大体800mlですけど、これを空けると死ぬ。ちょっと残すとギリギリ正気を保てる。おんなじ感じで、食事も、1キロ超えると死ねる。死んだ。

*p1*ママー個性ってどこから来るの?んーコウノトリが運んでくるのよ。

何回ループしてる話題か知らんけど、また蒸し返すよ。

ekiさん前回エントリコメントで曰く

  とかく模倣というと没個性を先読みしてしまって取り組む前から萎える人が多いので

あと、最近どこかしらで話題にされてるエントリ(http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080702/1214984474

まあ、「個性」とは何ぞやと云うと話が進まない気もしますが、表現者が云うところの「個性」とはエゴの発露を意味することが多いと思うんですが、他人からみた時の「個性」とは発露されたエゴのうち(観測者にとって)”好ましいもの”の場合が多いと思います。確かに、君の考えた架空何たら語で書かれた小説はユニークなのかんもしれないですけど、全く認識できないのなら、興味を持つことなんて出来ませんから。なんかしらの表現が伝わったからこそ、「個性的だ」と興味を持ってもらえるわけです。この、”好ましいもの”と云う条件付けあるなしによる表現者と鑑賞者の乖離が悲劇を生んでるのかなと思います。

剥き出しになったエゴの発露、例えば厨二病炸裂したやつとか、私は結構好きです。表現が至らない故に肥大化したエゴの高まりが、なんか味わい深いと云うか、身体を熱くさせられる感じがすると思います。だから、

 模倣なんか俺の個性を潰すだけだ!知るか!

そうでしょう、そうでしょう。是非そのまま邁進してください。。。と思います。だけど、

 俺の個性を誰も認めてくれない…!

つうのはお門違いでしょう。他人に理解してもらう努力を放棄しておいて、個性を認めてもらおうだなんて…。

…なんて事を考えてたんですが、腹が苦しくなってきたので端折ってまとめちゃうと、「個性は誰にでも存在して、それはかけがえの無い価値のあるものである。けど、その個性に金銭的な価値があるかどうかは全く別の話だ。」とつうのが私の感想です。

…って、ekiさんの文引用した意味の無いところで話が終わってる!ええと、続き書きます…(と云って止まったエントリが幾つか)。