アカシックレコードを垣間見た

今日、仕事中にアンコ餅を勧められましてね。私、餡子とかスゲー好物なんですけどね。もちろん、すかさず手を伸ばしたのですが、そのとき突然内なる声を聞きました。「お前はこのまま餅を食べてよいのか!?」と。

丼さんにカウンセリングしてもらった結果得られた結論としては、どうも私はそのとき、未来が見えてしまったことに恐怖したようでした。と云うのは、餅を目にしたとき、「私が餅を食べて大変喜んでいる映像」が見えたのでした。そして、餅を勧められた時に私はすべてを悟りました。さっき目の当たりにしたのは、未来を具現化したものだったのだ、と。よく、未来をすべて知ってしまい自我を保ってられなくなるみたいな話がありますが、アレはこんな感じだったのですねぇ。

と云うか、まあ大層な話では無くて、職場でお菓子を貰うなんてのは今までに浴びるほど繰り返されてきた事象で、その結果はほぼ2通りに収束するのでした。即ち、お菓子を食べて喜んでいる私と、適当に理由をつけて断ってみて*1苦しんでいる私の2択です。それゆえに、未来も容易く予想できたということです。しかしながら、2通りのガチパターンを構築してしまっていたことを悟り、えもいわれぬ不安を感じましたね。その後仕事そっちのけで熟考して挙げられた理由は2点ほど。
1「クリエイターとしての私」ものを創る時には過去の経験はたくさんある方がよい。嬉しいものを創るときは、嬉しいことを想像しながら創るよりも、嬉しかったことを思い出しながら創る方が楽だからだ。だから、過去にあった嬉しいこととほぼ同じ経験が予測されるならば、それをなぞるのは得策ではない。できれば異なる経験が期待できる行動をとりたい。だが、餅を断ってみたところで、過去にあった苦しい経験をなぞるだけであろうことも予想される。八方ふさがりかよ!

2「格ゲーマーとしての私」甘いものが好きな私がアンコを食べるのはリターンの大きい「安定行動」なのであるが、安定行動は強力ゆえに頼りがちになり対処のワンパターン化を生む。強力な行動といえども、パターンをなぞれば一点読みされる急所となってしまう。ゆえに、安定行動を選択する行為にはある種の緊張がある。

…なんてことをグルグルさせ、甘いもの好きで通っている私が甘味の眼前で硬直している姿は大層奇異に見えてしまっていたことだなぁ。。。

*1:ダイエット中ですから、とか適当に云って