アルジャーノンに花束を

読んだ。面白かった。昔本屋でバイトしてた時、それなりに目についたタイトルなんで有名なのかな?知らんけど。100円で厚かったので買った。

チャーリーは青年になっても幼児の知能しか無かった。周りの人間は寄ってたかって彼を笑った。周囲すら理解できない彼は、周りのひとが笑うのを見て、笑った。そんな彼は、周りのひとともっと仲良くなれると信じ、知能を獲得したいと願った。そして、それは叶うこととなった。知能を向上させる実験手術の被験者となり、天才へと変わったのである…。が…。みたいな話。

直球ですねぇ。直球だけに、書評とか書くと中学生力むき出しになってハダカにひん剥かれたみたいになって恥ずかしいねぇ。

先ず目につくテーマなんだが、ワタシは身障者、特に知的障害者に対するのが苦手で、嫌いだ。いや、別に障害のあるなしはそんなに大きい問題では無いな。ワタシは自分に対して矮小な能力しか持ち合わせてゐない人物に相対した時、侮蔑の思いを禁じえない。自分に出来ることは取るに足らないことだと思ってしまうことも併せて、「なんでこんなことも出来ないのだ、」と。自分がひとと比べて能力を持ち合わせてゐない為に惨めで泣きそうな思いをした経験を何度も繰り返し、一方向から見て比較した能力の大小で評価を下すことが馬鹿げてると云うことを理解してゐるにも関わらず、ひとを見下す眼差しをしてゐる自分が腹立たしくなる。チャーリーも高い知能を獲得した後にかつての自分のような人物を目の当たりにして、自己嫌悪を感じてゐた。どんな気持ちだっただろうか。

チャーリーは強大な理解力を獲得し、貪欲に知識をむさぼった。この、急速に自分が高まってゆく爽快感を追体験して、最近高まりつつある読書欲が高まったような気がする。

この、主人公の状況を極端に変化させることで前後を強く対比させる見せかたは典型的で効果的ですねぇ。周囲の環境はそれほど変化したわけでは無いのだが、チャーリーは急激に大変化を遂げた。その結果、チャーリーが感じ取る周囲環境は激変するわけで。そんな中で、「世界」つうのは世界を体験する各人がつくるものだと再確認しましたよ。物質的な世界っつうのは一つしか無いんだけど、自分から見た世界つうのは、「世界」にどうやって関わっていってどういう風に感じ取るかで全く変わるものなんだよな。世の中が良くなればなぁ…と思うならば、先ず自分が変わってみるのが第一歩。ですよね。

チャーリーは、欲求の赴くがままに知識をむさぼり、ふと、自分が何か大切なものを亡くしてしまったことに気が付く。ワタシも、10年ばっかし夢中に生き過ぎて、ちょっと偏りが過ぎたなぁ…と身につまされる。チャーリーは後に、自分が獲得したものを捨て、かつてのものを取り戻す。だが、彼は思う。また、知識を身に付けたいな、と。それは、それらのものが独立背反ではなく、重ねて獲得できるものなのだと感じてるからなのかと思った。急ぎすぎなければ、じっくりと取り組めば、共に獲得する日も来るのだ
…と。

いやー出るは出るは中学生的青臭さが。そういや、昔、本を夢中になってむさぼってたのって中学ぐらいの頃が最後だったからなのかも。最近、それなりに能力を身に付けまとまってきたけど、若々しい感性が無くなって来たね、と指摘を受けてたりもするワタシ。この懐かしい感覚に浸るのは悪くない。いやー愉快愉快。

で、こないだ買った本が切れた。また適当に買ってみよう。